浄徳寺について

概要

宗 派  浄土真宗本願寺派(西本願寺)
所 属  大阪教区 大阪西組
山 号  浄珠山(じょうじゅざん)
寺 号  浄徳寺(じょうとくじ)
本 尊  阿弥陀如来 立像
所属僧侶 住職 法名:釋 信隆
          (しゃく しんりゅう)





     副住職 法名:釋 雄高
           (しゃく ゆうこう)




沿革

慶長5年(1600) 関ヶ原の合戦の起こった年、
         備後国の正賢(しょうけん)が
         大坂備後町(今の北御堂の近く)に創建

寛永8年(1631) 本願寺から「浄徳寺」の寺号を許され、
         正式な寺院となる

延宝8年 (1680) 徳川綱吉が第五代将軍となった年、
         幕府によって大坂の町が改変されたのに伴い、
         葭屋町(今の西区南堀江)に移転

昭和20年(1945) 3月13日大阪大空襲に遭い、本堂全焼
         戦後の都市計画により、
         現在の西区北堀江に移転

昭和26年(1951) 仮本堂を建立
昭和36年(1961) 本堂再建

平成12年(2000) 創建400年慶讃法要を勤修


薩摩隠れ念仏との関わり

昭和59年(1984)福伝寺(鹿児島県日置郡)で、
薩摩隠れ念仏に関する書状が 発見されました 。

書状の日付は「宝暦8年(1758)7月28日」
宛先は「薩州 御煙草講中」
差出人は「浄徳寺 暁雲」
内容は、
「本願寺から六字名号掛け軸が下付されたから、粗末にせぬよう。
 御座ごとに、この掛け軸を掛けて法要を行い、信心決定せよ」
というものでした。

宝暦8年は親鸞聖人500回大遠忌を3年後に控え、
本願寺の阿弥陀堂再建に向けて工事が進められていた時期でした。
念仏禁制の中、薩摩の門徒が再建の募財に応じる為、
浄徳寺を通して密かに懇志を本願寺に送り、
本願寺から御煙草講に対して六字名号が
下付された事実を示すものです。

当時の大坂は、全国の物産が集積される商業地であり、
葭屋町は木津川、道頓堀川が合流する地で、
諸国廻船の積み荷をさばく、荷さばき場が集中していたということです。
薩摩の船も多く入津していたのでしょう。

浄徳寺は、本願寺と薩摩門徒の間を取り持つのに、
地理的条件にもかなっており、暁雲らの伝道の志が
薩摩門徒の期待に応えようとしたものと思われます。